JA Contest

MY_AWARDへ      JE1RRKのトップページへ

オールJA 6m&Down フィールドデ- 全市全郡 東京
埼玉 群馬 千葉

=オールJA CONTEST=

2005年 平成17年

7Mhzは今も昔も、雑音や混信の中でのQSO。今や日本もKw局が普及し、弱小局の抵抗力をためされる。
2002年 平成14年

2001年10月の全市全郡で、21Mhzも一応マスターしたので、このオールJAから14Mhzに転向した。
1996年 平成8年

オールJAは、県がマルチなのでアンテナ性能をより反映し、マルチがいつもきびしい。
1995年 平成7年

昨年のコンテストから、28Mhzに焦点を合わせ、注力し始めた。
1991年 平成3年

この頃は50Mhzや144Mhzで遠くの沢山の局とQSOするのをDXと平行し志向していた。

この頁のtopへ

=6m&Down CONTEST=

2002年 平成14年

白樺の林に菖蒲の花が咲くロマンチックな山梨県乙女高原から運用。当初の目的地は急遽閉鎖されていた。
2001年 平成13年

この時は群馬県多野郡の赤久縄山へ移動した。大裕工業製ヘンテナ:UU1202を屋根の上に固定して、高速を走った。
1993年 平成5年

この時は山梨県三窪高原へ移動した。富士山が雨上がりの動く雲で異様な雄姿だった。

この頁のtopへ

=フィールドデ- CONTEST=

2002年 平成14年

移動運用は山の上から電波を出すが、フィールドデーはそれを推奨して得点が倍になるのが好都合。
1998年 平成10年

14MhzではSWR幅が広く、ボトム値が低いヘンテナを何度も試作し、本番で成績を確認した。
1994年 平成6年

今まではVHFで沢山遠くとQSOがコンセプトだった。今回から友人に刺激され、狙った周波数をマスターする事にした。

この頁のtopへ

=全市全郡 CONTEST=

2004年 平成16年

昔から7Mhzは雑音や混信、そしてマナーは他のバンドより酷く、これに耐える事がまずは必要。
2003年 平成15年

2002年から14Mhzに転換して継続的にチャレンジした結果、やっと14Mhz全国1位を入手した。28Mhzで勉強した対処法が活きている。
2002年 平成14年

14Mhzではcontest人口が、インターネットやパソコンの普及で減少しており、盛り上がりに欠ける。
2001年 平成13年

1999年から21Mhzに転換して継続的にチャレンジした結果、やっと21Mhz全国1位を入手した。28Mhzで勉強した対処法が活きている。
1997年 平成9年

28Mhzに参加してしまったが、来年は新たな21Mhzへ進む。21Mhzは私のDXバンドだが、国内は様子が事なる。
1996年 平成8年

やっと28Mhz全国1位を入手した。この日は小道具が途中で全て壊れ、キーかマイクで休みなく24時間CQを出す対処法が奏功した。
1993年 平成5年

144MhzはLAMBDA製Cubical Quad 8x2をメインに使用した。その後、八木アンテナやヘンテナと直角に配置し、アンテナ切替機で瞬間切替を試みたが、成果はわからない?
1992年 平成4年

この頃はインターネットやパソコンは普及中で、アマチア無線も絶好調の時期だったと思う。50Mhzでは開始30分前に、周波数確保の事前交信をしないと周波数が取れなかった。
1991年 平成3年

この頃は青梅市の梅ノ木峠によく通った。舗装は無く、雨で道がえぐれていたので、スコップとつるはしをトランクに常備していた。

この頁のtopへ

=東京 CONTEST=

2014年3月受領。28MhzでDP/4ELE-YAGIを山の上が如く使い分けたが、山の下では機能せずで、一人よがり! 2013年3月受領。前年5月に東京コンテストへ参加。クラブの得点より、個人の入賞狙いの28Mhzでした。
2009年 平成21年・・・19年ぶりに我が家から 1999年 平成11年・・・2連勝したので、この席も空ける
1998年 平成10年・・・初の電信マルチにチャレンジ 1997年 平成9年・・・電信・電話マルチも良いが
1995年 平成7年 この年も高水山に夜明け前に移動し、4バンドのアンテナを建てて対応する。
その時に獲得した全区賞(101〜123)。コンテストログを作成する中で、併せて点検すると偶然にも出来ていたので申告した。
1994年 平成6年
高水山に夜明け前に移動し、4バンドのアンテナを開始前に建てる。アンテナの直前設営はリスクが大きい。移動運用では電波が届いている前提でCQを絶やさない事だ。
1993年 平成5年
移動運用は効果が大きい事を昨年実証したので、今回は最近出来た高水山の林道で東京が見える地点に移動。これ以来、高水山移動が増えた。
1992年 平成4年
昨年は50Mhzの4位で受賞できず。それなら今年は必ず入賞できるであろう移動運用とし、御岳山バンガローから一気にオールバンドで出場し、そして優勝できた。5月3日はケーブルも混む日で、荷物の大きさや重量から、それ以来遠慮している。
1990年 平成2年
2回目は21Mhzからひとつ上の28Mhzとし、我が家から出場し、又もや3位を受賞できた。
そしてこの表彰式は青梅市の総合体育館で行われた。
1989年 平成1年
初の東京コンテストは、我が家から出場し、めでたく3位を受賞できた。これで動機付けられた。

この頁のtopへ

=埼玉 CONTEST=

2008年 平成20年・・・10年ぶりに県外部門で自宅から
1997年 平成9年
雪の降りやすい時期で、QSO中に振り出すと、撤収で1時間以上は掛かり、それで難儀する事もある。
1994年 平成6年
前夜に車に機材一式を積み込み、早朝の真っ暗な中を出陣する。寒風の中でアンテナを設営する。
1993年 平成5年
八木が全盛だが、CQに興味を覚え、本に従ってシングルのCQを加工し、調整を繰り返した。
1992年 平成4年
1月15日成人式の早朝、グリーンラインのザラメ雪の上を進み、飯盛峠で設営した。帰る頃には雪は解け、助かった。

この頁のtopへ

=群馬 CONTEST=

2002年 平成14年・・・支部大会へ出向き、表彰状を頂いた。東京から来た事にお礼を言われ感激した。
2001年 平成13年・・・VUを外したが、ワイヤーDPに時間を要す 1999年 平成11年・・・マルチバンドHF CWでVUを外す
1998年 平成10年
夜中に休息時間があるのが健康的で良い。全国対群馬県なので、群馬県だけがパイルを受ける仕組み。
1997年 平成9年
群馬県多野郡の赤縄山の山麓に全てのアンテナを張りめぐらした。特に1.9Mhzは珍しく、狭い周波数に何局も入らない。

この頁のtopへ

=千葉 CONTEST=

1999年 平成11年
21MhzでJapan International Contestが併せて行われている事からそちらのCALLが多数有り。
1998年 平成10年
7MhzではCWとSSBを切り替え、コールが止まらないように心がけ、400を越える局とQSOした記憶があり。
1997年 平成9年
アンテナは8x2のクワッドに90度ずらして上に2段クワッドをつけ、アンテナ切り替えスイッチで瞬時に切り替えた。
1996年 平成8年
千葉の友人の紹介で、千葉県南部の果樹園跡地へ、数人で周波数を分散して千葉県内局として参加した。

この頁のtopへ